おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療17:採卵3回目、移植6回目

2つ目のクリニックでの初の採卵 

不妊治療クリニックを転院してはじめての採卵と移植に臨むことになりました。 先生と相談して、まずは、初期胚を育てて新鮮なまま移植する計画にしていました。

新しく通い始めたクリニックは、ナチュラル志向の強いところでしたが、さすがにいきなり自然周期で何も投薬せずに採卵、というわけではなく、生理が始まって5~7日の3日間はレトロゾールを飲んでやんわりと刺激し、少数の卵を育てることになりました。

転院前はショート法で採卵しており、毎日注射のために通院していたので、それに比べれば、採卵前の通院回数は少なく済んだと思います。それでも結局、生理4日目に通院した後は、3回通院してようやく採卵日が決まりました。

採卵前最後の通院から帰宅した夜は、2回スプレキュアを吸い込んで排卵のトリガを引きつつ、次の日はボルタレンを挿して、翌日の採卵に備えました。転院前のクリニックでは、採卵後の痛み止め用にボルタレンを挿していたので不思議に思いましたが、先生によると、仕組みはよくわからないが、ボルタレンを挿すと、採卵までに排卵してしまうのを防ぐ効果があるということでした。

採卵の日は担当医の先生がいらっしゃらない日で、院長先生に採卵してもらいました。はじめての麻酔なしの採卵で、大変緊張しましたが、採卵自体は痛くなかったと思います。2個採卵できたということでした。採卵後、安静にしている間に、じわじわとお腹が痛くなってきて、ベッドにうずくまることしかできなくなりました。看護師さんにお腹が痛いことをうったえると、「そりゃ針さしてますからね~」と明るく言われたことが印象に残っています。

 

移植

採卵の後は2日目の4分割胚を移植する予定になっていました。理由は忘れてしまいましたが、こちらのクリニックは、3日目ではなく2日目で移植することを売りにしていたと思います。採卵2日後は、会社でそこそこ重要な研修を受ける予定の日だったのですが、研修をあきらめることにしました。

移植の日は、前のクリニックと同様、朝培養室に電話して、胚が育っていることを確認してから通院することになっていました。研修を休んで自宅で電話したところ、胚が育っていないので、その日の移植はキャンセルとなってしまいました。また、採卵3日後にあたる翌日に8分割まで育っていれば移植できるので、翌朝再度電話するようにということでした。とうとう初期胚すら育たなくなってしまったのかもしれない、と絶望しながら研修の会場に遅刻でかけつけたことを覚えています。

翌朝再度電話したところ、8分割まで育っているということで、結局移植することになりました。午前から通院して採血をしてもらった後は、午後まで何もないということで、クリニックの近くのショッピングモールで、平日昼間に優雅にランチをとっていたのを覚えています。前のクリニックでは、移植のときの消毒が大変痛かったので、ドキドキしながら移植に臨みましたが、担当医の先生は大変ソフトな施術で、痛くありませんでした。

 

成功報酬の仮請求書

移植の日1番驚いたのは、移植後、帰り際に、採卵と移植の請求書だけでなく、成功報酬の仮請求書まで渡されたことでした。

勿論、この移植で妊娠できればお支払いするつもりでしたが、どうしてこのタイミングで渡されたのか、いまだにはっきりとわかっていません。

元々、説明会や診察等で院長先生のお話をうかがっていて、強気な発言をされる方だなあという印象は持っていました。強気でいた方が、メンタルが安定してホルモンバランスも安定しそうな気がするし、何より運を呼び込みそうな気もします。私も仕事等での勝負時は強気でいくようにしていますので、好ましく思ってはいました。

ですので、このタイミングで渡される仮請求書には、こういった意図があるのだと思うことにしました。

ですが、それまで5回の移植で着床せずに終わっている私には、この、ダメだったときのダメージを考えていない感じの攻めの姿勢でいることはできず、強気の波に乗ることができませんでした。

 

移植後と判定結果

移植後は1日2回のジュリナの飲み薬のみで、これまでの移植よりは楽なはずでしたが、精神的につらい日々を過ごすことになりました。

移植の5日後、判定日より前に診察があり、この日にも採血でHCGを計測するので、実質中間判定となっているようでした。計測されたHCGの単位はわかりませんが、0.0と記載されており、中間判定とはいえ、もうなんとなくまたダメな気がするようになりました。

この中間判定の日で、私の精神力がゼロになってしまい、もう、治療が嫌になってしまいました。もう通院したくない、不妊治療をしたくない、と夫にだだをこねる日々が始まりました。

このときは通算で6回目の移植で、いつも移植後は心が荒れていましたが、移植の回数を増す毎に荒れる度合いも強くなっていったように思います。転院したことで心機一転、また1からスタート、はじめての移植、と思うようにしていたのですが、でもやっぱり6回目は6回目です。またダメなのか、恐らくダメなのに、なぜまだ薬を飲んで、ビールやコーヒー等好きなものを我慢して摂生しなければいけないのか、とイライラして過ごしました。

移植から11日後に判定日があり、HCG0.2で案の定撃沈して終わってしまいました。