おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療18:作戦変更

不妊治療のやめどきを意識

不妊治療を始める際には、不妊治療をやめる条件もあらかじめ決めておく方がよい、というWebの記事を読むことが多かったと思います。にもかかわらず、私達の場合は、明確には決めていませんでした。ただ、40歳になったら考え直そう、という話はしていました。はっきり「40歳になったらやめる」としなかったのは、40歳になってあきらめられなかったときに後悔しそうだと思ったからです。

実際には、34歳の終わり頃治療を始め、6回目の移植が着床せず終わったのが36歳のときでしたが、とても40歳まで耐えられない、と思いました。

もしかして私達は全く無謀なことをしているのではないかという恐怖を抱き始め、治療をやめる条件を詳細に決めておかなかったことを少し後悔していました。

 

通院方法の見直し

6回目の移植の中間判定の後、かつてなく私は絶望していて、毎日のように治療をやめたいと夫に言っていました。

しかし、夫は同意してくれませんでした。

通院の手間も採卵の怖さや痛みも薬漬けのしんどさも体験していないのに、治療の継続を要求していることに腹が立ち、夫に当たり散らしてしまいました。

その八つ当たりの一環として、まずは、夕方の診察の場合は、毎回夫も一緒に通院することになりました。

元々、私の治療のための通院でも、初診や採卵、判定日等は夫は同行してくれていたのですが、それ以外は私1人で通院していました。私も、それで良いと思っていました。特に1つ目のクリニックは待合室もそれほど広くありませんでしたし、何より、2人して早退等で会社に迷惑をかけなくても、どちらか一方くらいは会社で良い成績でいられた方が家族全体としては良いだろうと考えていたのです。

  

方針の見直し 

2人で通院するようになったものの、6回目の移植の最終判定の後は、このまま治療を続ける気になれず、 何か条件を変えたいと思いました。

夫はそれまで、1回目の採卵の前に1か月程度クロミッドを飲み精索静脈瘤の手術をした後は、月に1回、前のクリニックの泌尿器科の先生をこっそり受診して精液検査をしてもらっているだけで、特に何も治療を受けていませんでした。前の月の採卵の際は、精索静脈瘤の手術後1年弱経っていましたが、WHOの男性不妊の基準を満たすほどには、精子の成績は改善していませんでした。

そこで、私は、秋葉原にある男性不妊専門のクリニックを夫に勧めることにしました。

それまでに6回移植して着床せず、散々子宮を調べてきたのに特に問題が見つからないとなれば、もうあとは胚のDNAを疑うしかないと考えました。卵子側で対照的な2種類の採卵手法であるショート法とフェマーラ周期を両方試してどちらも効果がないのであれば、次は精子側の条件を変えなければいけないと思いました。

こちらの男性不妊専門のクリニックでは、精子のDNA損傷を調べられるということでした。また、人工授精、体外受精等用に、良好な精子の選別等も行っているということでした。以前から気にはなっていたのですが、少なくとも当時はWebで調べてもあまり情報が出て来ず、また検査も高額なようでしたので、なんとなく躊躇していました。ですが、この頃にはもう、藁をもすがる思いで、上述の八つ当たりの一環として、夫に説明会を予約してもらいました。