おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療23:昇進

3つ目のクリニックの初採卵で得た受精卵が胚盤胞まで育たなかったため、そのまま次の周期でも採卵に臨むことになりました。通算では5回目の採卵になります。前周期で行ったERA検査の結果が出るまでには時間がかかり、この周期の移植に間に合うかどうか、というところでした。
 
ちょうど年度が変わり、私の仕事の環境だけでなく、気持ちにも変化があった頃でした。

一つは、管理職に昇進したことです。私の勤め先では、管理職になるには、筆記試験と面接をパスする必要があります。筆記試験は、前の年に胚盤胞移植や激務の合間をぬって、なんとかパスしていました。筆記試験では、自分の開発している製品に関する事業の将来のビジョンを文章で語らなければいけないのですが、これに大変苦労しました。来年の今頃は、育休で会社にいない状態が理想なのです。その頃に事業がどうなっていようが知ったこっちゃない!、、、とまでは言いませんが、真剣に深く考えられるほど自分ごとにするのが難しかったです。結局、3回移植をして、凍結胚盤胞の残りがなくなりしばらく治療を休むことになって、ようやく腰を据えてまともに考えられるようになりました。
面接はその1年後、1回目の転院後初の採卵、移植が不発に終わり、絶望しかかっていた頃にありました。面接でも同様に将来を語るのですが、この頃にはだいぶ落ち着いて、自分のこととは切り離して考えられるようになっており、(1年前の筆記試験で一旦解を出していることとはいえ、)我ながら少し成長を感じることができました。治療が全くうまくいかず、妊娠できるビジョンも持てなくなっていたので、事業のことを考えるには都合がよかったのかもしれません。ともかく面接試験もパスすることができました。
それにしても、急な早退、休暇をこんなに繰り返す社員を管理職にするなんて、具体的に誰が人事権を持っているのかわからいませんが、一体何を考えているのでしょうか?女性管理職を増やす必要があり、筆記試験の成績のよかった私を早く昇進させてしまわねば、とでも考えたのでしょうか?不妊治療だけのせいではありませんが、それでも治療を始めてからは、プロジェクトを炎上させ、成果も出せていなかったのに、自分が不思議に思うくらいだから、周りも納得しないだろうなあと不安に思いました。とはいえ、昇進するかどうかを決めるのは私ではありません。私は全力で試験に挑み、パスしただけですから、開き直ることにしました。

もう一つ自分の変化を感じたのは、期初の上司との面談でした。治療を始める際、その旨報告したときは、私の人生において大事なことだから、と言って背中を押してくれた上司でしたが、それから2年ほど経った今、どう思われているのか気になっていました。そこで、なぜか私は苦肉の策として、「婚活のようなものだと思って生暖かく見守っていてください」、とお願いしたのを覚えています。

私の職場の後輩で、長い間婚活に励んでいる男性社員がおり、いつも面白おかしく婚活の様子を話してくれていました。1年半前、繁忙期にもかかわらず、私が2回目、3回目の移植にせっせと取り組んでプロジェクトを炎上させたときに、激しくののしってくれた人物です。今でも100%心を許す気にはなれませんが、かといって婚活に失敗して不幸になれ、とは思いません。同じ職場の同僚としては、うまくいってくれれば、心が満たされて精神が安定して仕事にも良い影響が出るといいなと思います。昨年度からプロジェクトも落ち着き、彼自身も業務量をコントロールしながら、婚活のために休暇等を取得できるようになっていました。

私の不妊治療も、他人から見れば、彼の婚活と同じようなものかもしれない、と思うようになりました。そのために仕事に大幅に差し支えるようでは困るが、知人の一人として、うまくいけばよいと思う、という点は同じであるように思いました。

上司にそのようにお伝えしたところ、返ってきたのは意外な返答でした。上司も実は不妊治療中であり、先日はじめて体外受精にチャレンジしたところだということを明かしてくださいました。大変であることはよくわかると言ってくださり、とても心強く感じたのを覚えています。

 

以上のような事情があり、この頃は、それまでに比べれば大分心にゆとりをもって顕微授精に臨むことができていたと思います。

 

不妊治療22:採卵4回目とERA検査

夫が男性不妊のクリニックに通ってクロミッドを飲み始めてから3か月ほど経った頃、精子数がWHOの基準値には満たないものの彼なりにそこそこ増えたため、ようやく3つ目のクリニックでの初の採卵周期に臨むことになりました。採卵当日の朝に男性不妊のクリニックからレディースクリニックに新鮮な良好精子を持ち込む必要があるため、うまく日程調整できるのか、少しドキドキしながら生理開始を迎えました。

まずは生理2日目で受診し、ホルモン値が問題ないことを確認してもらいました。その日から5日間、毎晩レトロゾールを飲んでやんわりと刺激して、次回生理10日目に通院して様子を見ることになりました。また、12日目と13日目が採卵の候補日であるため、当日良好精子の選別をしてもらう男性不妊のクリニックの予約をとるよう先生から指示がありました。

男性不妊のクリニックの精子選別は、2日程分の予約をとることができるようになっていました。確か毎朝先着2名までしか受け入れてもらえないのですが、予約の時点では3番目になってしまっていても、大体採卵日はばらけるので、なんとなくうまくいっている、と先生から聞いていました。この周期では、生理12日目も13日目も問題なく予約できたと思います。

生理10日目の通院では、卵胞は良い大きさに育っているが、ホルモン値がもう少し上がるはず、ということで、次の日に再度通院することになりました。また、この日に採卵の候補日が1日ずれて、生理13日目と14日目に変わり、夫に依頼して男性不妊のクリニックの予約を変更してもらいました。14日目はすでに2人予約が入ってたのですが、おそらく当初から予約している13日目の方が可能性が高いということで、あまり心配し過ぎないように過ごしました。

この周期はちょうど年度末の繁忙期の最中に始まり、社外の方との予定も多く、急遽決まった生理11日目の通院もダブルブッキングになってしまったのですが、この頃すでにもう悟りを開いていた私は、淡々とリスケして通院しました。通院等の事情は言わず、「都合が悪くなったので、申し訳ありませんが日程変更させてください」、で乗り切りました。

生理11日目の診察では、E2が十分な値でないがLHが出ているということで、2日後の13日目に採卵することになりました。ようやく採卵日が決まり、男性不妊のクリニックの予約もおさえられている日でしたので、ホッとしました。右の卵巣に3つ、左の卵巣に小さい卵が1つ育っているようでした。2つ目のクリニックのときと同様、採卵2日前の晩にブセレキュアを吸い込んで、その後は8時間おきにボルタレンを挿しながら、採卵の日を待つことになりました。

採卵の日は、夫の通う男性不妊のクリニックの方が集合時刻が早く、家を出るときから別行動でした。私は3つ目のクリニックでの初の採卵に少し緊張して臨みました。麻酔無しの採卵という点は2つ目のクリニックと同様でしたが、2つ目のクリニックのときより採卵自体が痛く、随分と顔をしかめてしまったと思います。採卵後の安静が解けて待合室に戻る頃には、良好選別精子の受取と提出を終えた夫が待っていました。右卵巣から成熟卵が2つ採れ、顕微授精を行ったということでした。

 

この周期では移植をせずにERA検査を行う計画にしていました。検査は採卵から5日後でした。着床の窓を調べるERAの他に、子宮内膜の細菌を調べるEMMAと、子宮内膜炎を調べるALICEもあわせて行うことにしました。内診室で内膜を採取してもらったのですが、卵管造影検査のときほどの痛みはないものの、徐々にしんどくなっていき、処置が終わる頃にはぐったりしてしまいました。

この日の診察で、先生から卵の育ち具合の説明があり、顕微授精を行った1つは受精せず、もう1つはまだ桑実胚ということでした。

ERA検査で何かわかるかもしれないと期待しつつ、ショート法でないと胚盤胞を得ることも難しいのかと落胆し、なんとも複雑な気持ちで帰路につきました。

  

不妊治療21:3つ目のクリニック

通算3回目の採卵、6回目の移植が成果を出せずに終わった後、夫が男性不妊専門のクリニックに通うようになった一方で、私は夫の通うクリニックと連携している、選別精子を新鮮なまま持ち込めるレディースクリニックを求めて、2回目の転院をしました。

3つ目のクリニックは、説明会はすっとばし、いきなり初診を予約して、夫と2人で受診しました。 

これまでに通っていた2つのクリニックと比べると、それほど患者さんが多過ぎず、ゆったりと待つことができたと思います。

初診は院長先生の診察でした。先生は、もはや釈迦に説法かもしれませんが、と前置きしつつ、時間を割いて、受精から妊娠までの身体の仕組みや、顕微授精等の治療の内容、ナチュラル志向なクリニックの方針、治療費等について説明してくださいました。治療費については、2つ目のクリニックと同様、無事妊娠できて卒業となれば、成功報酬を支払うことになっているようでした。その分採卵や移植の治療費は低めに抑えてあり、カツカツで運営しているので、ぜひ早く妊娠して成功報酬を払ってください、というようなことをおっしゃっていて、好感を持ちました。

また、内診の結果、とってしまうほどではないが子宮筋腫があり、それをよけるような形で子宮後屈になっているので、それも妊娠しづらい要因になっているかもしれないということでした。それまで何十回と内診を受けてきて、はじめて言われたことなので、少し驚きました。ちなみに、私の母も同様の子宮筋腫があって子宮後屈になっていることが後にわかり、月並みですが遺伝は怖いなあと思いました。

私達からは、夫の通うクリニックで選別した良好精子を持ち込んで採卵したいということと、1つ目と2つ目のクリニックでやりそびれていたERAの検査をしたいということをお伝えしました。

今後の方針として、まず最初の周期は採卵して、移植はせずにERAの検査をして、胚盤胞まで育てば凍結して、その次の周期に移植しようということになりました。ERAの検査では、胚盤胞を移植するのにちょうど良い日に子宮内膜を採取するので、移植と検査を同じ周期にはできないということでした。

この初診の日はちょうど排卵数日前で、先生からはこの周期から採卵を始めても良いと言っていただいたのですが、残念ながら、夫の精子数がまだ十分に増えておらず、この初診の後1か月半ほどお休みとなりました。

 

 

不妊治療20:2回目の転院

通算で3回目の採卵、6回目の移植の後、私達夫婦は、男性不妊専門のクリニックを受診しました。そこで夫の男性不妊を詳細に検査していただいたところ、箸にも棒にも掛からぬわけではないということがわかり、先生から不妊治療継続のGoサインを得ることができました。選別精子を用いた通算4回目の採卵に向けて、夫がサプリや薬を飲んだり生活習慣を改めたりし始めている一方で、私はレディースクリニックを転院し、3つ目のクリニックに通い始めることになりました。

男性不妊のクリニックでの検査により、精子のDNA損傷度合い以外に新たにわかったことが、もう1つありました。それは、耐凍性能がないということでした。夫の精子を一旦凍結した後に再度解凍すると、ほとんど復活しないということがわかったのです。

耐凍性能がないということは、採卵当日に男性不妊のクリニックで採精し、良好精子を選別してもらって、選別完了次第レディースクリニックに運ぶことが必要になります。確か、1時間くらいの距離ならOKということでしたが、この男性不妊のクリニックが秋葉原、当時私が通っていたレディースクリニックがみなとみらいにあり、電車だとギリギリアウトということがわかりました。車なら辛うじて間に合いそうでしたが、焦り運転で事故を起こすのも賢明ではありません。ここまできたら、鮮度が命の精子をできるだけ良い状態で持ち込み、万全を期して顕微授精に臨みたいと思い、連携している近くのレディースクリニックを紹介してもらいました。

男性不妊のクリニックの先生から紹介いただいたレディースクリニックは2つありました。当時私の通っていたクリニックの名前をお伝えしていたからなのかどうかはわかりませんが、どちらも同じナチュラル志向のクリニックでした。どちらも自宅や職場からは1時間半以上かかりますが、この頃には私の社会人としての感覚はすでに麻痺しており、会社を早退しての通院には慣れていましたので、後は腹をくくるだけでした。比較的通い易い場所にあるということで、神田駅の近くにある、院長先生が親しみ易い雰囲気であることで有名なクリニックを選びました。

 

2つ目のクリニックには、最後の採卵、移植の後、転院するまでの間に、2回通院しました。2回目の通院の際には、もう転院を決めていたのですが、最後の採卵で2個採れていたので、もう1つの胚がどうなったのか、念のため確認したいと思い受診しました。採卵後、何度か受診しているのにもう1つの胚に言及されることがなかったので、そんな気はしていましたが、やはり凍結できるまで育たなかったということでした。また、その際、担当医の先生もちょうど辞められるというお話があり、未練なくやめることができました。

結果として、2つ目のクリニックでは、1回の採卵、1回の移植で終わりました。 

 

結局、自宅からは大分遠いクリニックに通うことになってしまいました。この距離を通えるのであれば、クリニックの選択肢は随分広がるので、最初から夫婦揃って診てもらえるクリニックにしておけばよかったと、今振り返ると思います。不妊かどうか調べるだけ、と思っていた、1つ目のクリニックの初診を思い返すと、随分遠いところまで来てしまったなあ、と当時はただ感慨にふけっていました。

 

不妊治療19:男性不妊専門のクリニックを受診

説明会に参加

2つ目のクリニックでの通算6回目の移植が着床せずに終わった私達は、もう少し正面から男性不妊と向き合うべく、秋葉原にある男性不妊専門のクリニックの説明会に参加することにしました。

説明会には夫と2人で参加しました。雑居ビルのワンフロアがクリニックになっており、私にはあまりに入りづらく若干腰が引けてしまいましたが、入ってみればなんということもなく、普通の清潔感のあるクリニックでした。私達の他にも数組の夫婦が参加していました。

説明会の内容の詳細は忘れてしまいましたが、数十回顕微授精を繰り返しても、精子の状態が悪ければ授からないこと、顕微授精では見た目で精子を選ぶがDNA損傷の程度はわからないこと、等の説明がありました。また、顕微授精ではやはり先天異常のリスクが相対的に高くなるので、精子の状態があまりに悪い人には、不妊治療を許可していないということでした。

ここでなら私達の不妊治療が見込みのあるものなのかどうかようやく白黒はっきりさせられるかもしれない、が、それは自分の望まない結果かもしれない、という期待と恐怖が混じった複雑な気持ちで、精子のDNA損傷を調べられる最も詳しい検査を予約して帰りました。

 

男性不妊の詳細検査

検査をしてから結果が出るまでに日数がかかるため、検査には夫1人で行ってもらい、結果説明のときは2人で受診しました。

検査の日は、夫は血液と精液の両方を採ってもらったようです。エコーや触診もあり、1年前に手術を行った精索静脈瘤はきれいに治っていて、再発はしていないことを確認してもらいました。

検査結果説明の日は、大変緊張しながら通院したのを覚えています。子供を授かることは無理ですからあきらめてくださいと言われたらどうしようと思い、診察までの待ち時間が異常に長く感じられました。

夫の担当医の先生とはその日が初対面でしたが、大変朗らかな方で、たまに冗談も言ったりするような、これまでのレディースクリニックではお会いしたことのないようなタイプの先生でした。

結論としては、不妊治療継続の許可が出ました。ホルモン値がよくなく鬱であってもおかしくないレベルであるし、精子数が少なく運動率が低く奇形も多いが、奇跡的にもDNA損傷していない精子はいるため、薬を飲んで精子を増やした上で良好な精子を選別すれば勝算はある、ということでした。

検査結果の説明の後は、食事や運動などの生活習慣を見直すように指導がありました。有酸素運動をすること、ノートパソコンを膝に置いて作業しないこと、ブリーフでなくトランクスをはくこと、カフェインを摂り過ぎないこと、ショートニング、マーガリンを避けること、アセスルファムK等の人工甘味料を避けること、週2~3回は出しておくこと、等々、多岐に渡る注意事項がありました。

これまで、私は、レディースクリニックの先生に言われなくても、自主的に調べて、食事に気を付けたり、サプリメントを飲んだりしていました。一方、夫は元々煙草も吸わずお酒もほとんど飲まないというのもあるのですが、特に何も生活習慣を改めたりはしておらず、少々イラ立っていましたので、ようやく言ってくれる人が現れた、とほっとしたのを覚えています。

特に食生活については、血液検査で中性脂肪が高く出ており、「前日に肉食った?」と聞かれて恥ずかしい思いをしていました。実際、夫は検査の前日の夕食に、気合を入れるためと言ってケンタッキーフライドチキンを食べていました。

ありがたいことではあるのですが、元々夫は冷凍食品やスーパーやコンビニの総菜に抵抗がありませんでした。一方私はというと、専業主婦の母の持つアンテナは高く、マーガリンや総菜の古い油はよくない、等散々言われていたので、できる範囲で食事には気を付けていました。そのため私が仕事から帰ってきて自炊をして疲れた顔をしていると、なぜ冷凍食品や総菜を使わないのか、と夫に怒られていました。理不尽に思っていましたが、先生のおかげで、ようやく市民権を得ることができました。これ以降、夫は、食事には積極的に注意を払ってくれるようになりました。

 

ともかく、まずは夫の精子を増やす、ということになりました。サプリメントや薬を処方してもらって、月1回精液検査をしながら、効果を確認してもらっていました。

はじめはコエンザイムQ10クロレラカルニチン等のサプリメントを試すことになりましたが、あまり効果が出ず、最終的にはコエンザイムQ10だけが残りました。

それでもAQ10だけでは十分に精子が増えなかったため、更にクロミッドを飲むことになりました。夫は1回目の採卵の前にもクロミッドを飲んでおり、そのときには、吹き出物や突き刺すような空腹感に悩まされていたので心配したのですが、今回はそのときの半分の量で、特に症状は出ずに済んだようでした。

 

先生から治療継続のGoサインが出たことと、生活習慣の改善でまだやれることがあるとわかったことから、また希望を持って、不妊治療を続けようという気持ちになることができました。

不妊治療18:作戦変更

不妊治療のやめどきを意識

不妊治療を始める際には、不妊治療をやめる条件もあらかじめ決めておく方がよい、というWebの記事を読むことが多かったと思います。にもかかわらず、私達の場合は、明確には決めていませんでした。ただ、40歳になったら考え直そう、という話はしていました。はっきり「40歳になったらやめる」としなかったのは、40歳になってあきらめられなかったときに後悔しそうだと思ったからです。

実際には、34歳の終わり頃治療を始め、6回目の移植が着床せず終わったのが36歳のときでしたが、とても40歳まで耐えられない、と思いました。

もしかして私達は全く無謀なことをしているのではないかという恐怖を抱き始め、治療をやめる条件を詳細に決めておかなかったことを少し後悔していました。

 

通院方法の見直し

6回目の移植の中間判定の後、かつてなく私は絶望していて、毎日のように治療をやめたいと夫に言っていました。

しかし、夫は同意してくれませんでした。

通院の手間も採卵の怖さや痛みも薬漬けのしんどさも体験していないのに、治療の継続を要求していることに腹が立ち、夫に当たり散らしてしまいました。

その八つ当たりの一環として、まずは、夕方の診察の場合は、毎回夫も一緒に通院することになりました。

元々、私の治療のための通院でも、初診や採卵、判定日等は夫は同行してくれていたのですが、それ以外は私1人で通院していました。私も、それで良いと思っていました。特に1つ目のクリニックは待合室もそれほど広くありませんでしたし、何より、2人して早退等で会社に迷惑をかけなくても、どちらか一方くらいは会社で良い成績でいられた方が家族全体としては良いだろうと考えていたのです。

  

方針の見直し 

2人で通院するようになったものの、6回目の移植の最終判定の後は、このまま治療を続ける気になれず、 何か条件を変えたいと思いました。

夫はそれまで、1回目の採卵の前に1か月程度クロミッドを飲み精索静脈瘤の手術をした後は、月に1回、前のクリニックの泌尿器科の先生をこっそり受診して精液検査をしてもらっているだけで、特に何も治療を受けていませんでした。前の月の採卵の際は、精索静脈瘤の手術後1年弱経っていましたが、WHOの男性不妊の基準を満たすほどには、精子の成績は改善していませんでした。

そこで、私は、秋葉原にある男性不妊専門のクリニックを夫に勧めることにしました。

それまでに6回移植して着床せず、散々子宮を調べてきたのに特に問題が見つからないとなれば、もうあとは胚のDNAを疑うしかないと考えました。卵子側で対照的な2種類の採卵手法であるショート法とフェマーラ周期を両方試してどちらも効果がないのであれば、次は精子側の条件を変えなければいけないと思いました。

こちらの男性不妊専門のクリニックでは、精子のDNA損傷を調べられるということでした。また、人工授精、体外受精等用に、良好な精子の選別等も行っているということでした。以前から気にはなっていたのですが、少なくとも当時はWebで調べてもあまり情報が出て来ず、また検査も高額なようでしたので、なんとなく躊躇していました。ですが、この頃にはもう、藁をもすがる思いで、上述の八つ当たりの一環として、夫に説明会を予約してもらいました。

不妊治療17:採卵3回目、移植6回目

2つ目のクリニックでの初の採卵 

不妊治療クリニックを転院してはじめての採卵と移植に臨むことになりました。 先生と相談して、まずは、初期胚を育てて新鮮なまま移植する計画にしていました。

新しく通い始めたクリニックは、ナチュラル志向の強いところでしたが、さすがにいきなり自然周期で何も投薬せずに採卵、というわけではなく、生理が始まって5~7日の3日間はレトロゾールを飲んでやんわりと刺激し、少数の卵を育てることになりました。

転院前はショート法で採卵しており、毎日注射のために通院していたので、それに比べれば、採卵前の通院回数は少なく済んだと思います。それでも結局、生理4日目に通院した後は、3回通院してようやく採卵日が決まりました。

採卵前最後の通院から帰宅した夜は、2回スプレキュアを吸い込んで排卵のトリガを引きつつ、次の日はボルタレンを挿して、翌日の採卵に備えました。転院前のクリニックでは、採卵後の痛み止め用にボルタレンを挿していたので不思議に思いましたが、先生によると、仕組みはよくわからないが、ボルタレンを挿すと、採卵までに排卵してしまうのを防ぐ効果があるということでした。

採卵の日は担当医の先生がいらっしゃらない日で、院長先生に採卵してもらいました。はじめての麻酔なしの採卵で、大変緊張しましたが、採卵自体は痛くなかったと思います。2個採卵できたということでした。採卵後、安静にしている間に、じわじわとお腹が痛くなってきて、ベッドにうずくまることしかできなくなりました。看護師さんにお腹が痛いことをうったえると、「そりゃ針さしてますからね~」と明るく言われたことが印象に残っています。

 

移植

採卵の後は2日目の4分割胚を移植する予定になっていました。理由は忘れてしまいましたが、こちらのクリニックは、3日目ではなく2日目で移植することを売りにしていたと思います。採卵2日後は、会社でそこそこ重要な研修を受ける予定の日だったのですが、研修をあきらめることにしました。

移植の日は、前のクリニックと同様、朝培養室に電話して、胚が育っていることを確認してから通院することになっていました。研修を休んで自宅で電話したところ、胚が育っていないので、その日の移植はキャンセルとなってしまいました。また、採卵3日後にあたる翌日に8分割まで育っていれば移植できるので、翌朝再度電話するようにということでした。とうとう初期胚すら育たなくなってしまったのかもしれない、と絶望しながら研修の会場に遅刻でかけつけたことを覚えています。

翌朝再度電話したところ、8分割まで育っているということで、結局移植することになりました。午前から通院して採血をしてもらった後は、午後まで何もないということで、クリニックの近くのショッピングモールで、平日昼間に優雅にランチをとっていたのを覚えています。前のクリニックでは、移植のときの消毒が大変痛かったので、ドキドキしながら移植に臨みましたが、担当医の先生は大変ソフトな施術で、痛くありませんでした。

 

成功報酬の仮請求書

移植の日1番驚いたのは、移植後、帰り際に、採卵と移植の請求書だけでなく、成功報酬の仮請求書まで渡されたことでした。

勿論、この移植で妊娠できればお支払いするつもりでしたが、どうしてこのタイミングで渡されたのか、いまだにはっきりとわかっていません。

元々、説明会や診察等で院長先生のお話をうかがっていて、強気な発言をされる方だなあという印象は持っていました。強気でいた方が、メンタルが安定してホルモンバランスも安定しそうな気がするし、何より運を呼び込みそうな気もします。私も仕事等での勝負時は強気でいくようにしていますので、好ましく思ってはいました。

ですので、このタイミングで渡される仮請求書には、こういった意図があるのだと思うことにしました。

ですが、それまで5回の移植で着床せずに終わっている私には、この、ダメだったときのダメージを考えていない感じの攻めの姿勢でいることはできず、強気の波に乗ることができませんでした。

 

移植後と判定結果

移植後は1日2回のジュリナの飲み薬のみで、これまでの移植よりは楽なはずでしたが、精神的につらい日々を過ごすことになりました。

移植の5日後、判定日より前に診察があり、この日にも採血でHCGを計測するので、実質中間判定となっているようでした。計測されたHCGの単位はわかりませんが、0.0と記載されており、中間判定とはいえ、もうなんとなくまたダメな気がするようになりました。

この中間判定の日で、私の精神力がゼロになってしまい、もう、治療が嫌になってしまいました。もう通院したくない、不妊治療をしたくない、と夫にだだをこねる日々が始まりました。

このときは通算で6回目の移植で、いつも移植後は心が荒れていましたが、移植の回数を増す毎に荒れる度合いも強くなっていったように思います。転院したことで心機一転、また1からスタート、はじめての移植、と思うようにしていたのですが、でもやっぱり6回目は6回目です。またダメなのか、恐らくダメなのに、なぜまだ薬を飲んで、ビールやコーヒー等好きなものを我慢して摂生しなければいけないのか、とイライラして過ごしました。

移植から11日後に判定日があり、HCG0.2で案の定撃沈して終わってしまいました。