おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療7:凍結胚移植2回目

2回目の凍結胚移植の方法

前周期では、初の採卵で凍結した2つの胚盤胞のうち、見栄えの良い方を移植しましたが、着床せずに終わってしまい、次の周期で最後の1個を移植することになりました。

前回の移植で惜しいところまでいったので、基本的には同じ方法で移植することになりました。

ただし、移植前の子宮への刺激方法をレベルアップさせ、前回は消毒であったのに対し、この周期では自己血リンパを試すことになりました。

移植の3日前に通院し、まずは採血してもらいます。数時間待っている間に、私の血液からリンパ液を抽出してもらい、それを子宮に入れてもらう、というものでした。

移植やその後のホルモン補充も前周期と同様になりました。

治療自体は淡々と進むのですが、この周期は私の不妊治療期間の中で1、2を争う、本当につらい周期になりました。

 

仕事の状況

まず、私の担当するプロジェクトが佳境に入っており、多くのメンバーが2〜3週間ほど出張をして、現地でサブプロジェクトを進める時期に入っていました。当時まだ私は管理職ではありませんでしたが、当初、私も出張して、現地でのとりまとめをするよう期待されました。ですが、通院できなくなってしまうため、お断りし、通院のない日のみ出張することにしました。

前の月にこのサブプロジェクトのスケジュールを立てなければならなかったため、生理開始日と排卵日を予測して、そこから移植の日とその後の黄体ホルモンの注射の日を予測して、サブプロジェクトのスケジュールと出張のスケジュールを組みました。ですが、いざ蓋を開けてみると、生理開始日も排卵日も遅れてしまい、出張のスケジュールを変更しなければなりませんでした。サブプロジェクトの期間はちょうど移植前から判定日あたりに被ることになり、1〜2泊の出張を繰り返すことになりました。

当然プロジェクトメンバーからは白い目で見られ、面と向かっては言われませんでしたが、無責任だと文句も言っているのも聞きました。ですが、自分と夫の間では優先順位は決めていましたので、心を強く持って、治療優先のスケジュールを貫きました。現地に張り付けないことをメンバーに謝罪しました。ただ、その理由は「通院治療のため」、としか言えませんでした。

自己血リンパの次の日から1泊で出張して、帰ってきた次の日に移植、その次の日は日中休んで夜に出張先に戻って1泊して、また帰ってきた次の日に黄体ホルモンの注射を射ってもらったその足で出張先に戻って2泊して、という目まぐるしい日々を過ごしました。注射だけでも出張先の近くのクリニックで射ってもらえたらよかったのですが、2件ほど問い合わせてお断りされてしまいました。

このような、治療と仕事が入り組んだ日程を計画したのは自分自身ですが、せめて出張中以外は仕事を忘れて穏やかに過ごしたいと思うのに、それも叶いませんでした。出張中に必要な調整を終わらせずに私の帰りの新幹線中にメールで相談を受けたり、休みの日に電話がかかってきたりしていました。また、現地でも屋外作業をあらかじめ丁重にお断りしているのにさせられそうになったり、寒いホテルのロビーで夜遅くまで仕事させられた日もあり、本当にイライラしながら過ごしていました。

結局このサブプロジェクトは、炎上して終わってしまいました。

私が不妊治療をしていなければ炎上を避けられたのか、そもそも私がこの仕事に関して未熟だったのか、それとも、私の状況とは関係なく炎上せざるを得なかったのか。何が原因で、どうすればうまくいったのか、いまだに整理できずにいます。

 

昇進試験準備の状況

加えて、昇進試験の準備も進めなくてはいけない状況でした。

部署によってはまだこの時期には試験勉強を始めていないところがあるのも知っていたので、本格的に準備を始めるのはこの周期が終わってからにしようと考えていました。ですが、部門長(直属の上司の更に上の方)が大変な熱血タイプで、顔を合わせる毎に進捗を聞かれるのが、大変ありがたいことなのに申し訳ないのですが、ストレスでした。

昇進試験では、自分が今後会社をどのように変えていくのかを文章でアピールする必要があるのですが、これの準備が本当につらかったです。

「今後会社をどのように」と言われても、不妊治療中の自分にとっては、「近い将来出産・育児のために休業している自分」が理想の状態なわけです。自分の休業中の会社がどうなろうと知ったことではない、と思っていました。

今思えば大変未熟な考えでしたが、こんな状態では作文も進まず、でも早くドラフトを書いて部門長の添削を受けなければ、という焦りが常に心の片隅にありました。

 

移植の結果

不妊治療と仕事と昇進試験の三重苦で、頭がおかしくなりそうでした。

心身共にストレスフルな環境で、どんなに良い胚盤胞だったとしても着床しなかったのではないかなあと思います。

夫が、一貫して、治療を続けて欲しい、と言ってくれたのが心の支えでした。あるいは本心ではなく、そう言わなければいけない立場であるからそう言ったのかもしれませんが、言葉にして言ってくれるだけで十分でした。

移植の10日後、サブプロジェクトの終わった頃に判定日があり、HCG25.7でした。ダメとは思うが一応3日後に自宅で尿検査で再判定をするよう言われて病院を後にしました。

案の定、自宅での再判定も陰性に終わりました。