おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療10:採卵2回目

卵の育て方

3ヶ月間のお休み周期を経て、私達は2回目の採卵に臨むことになりました。夫の精索静脈瘤手術が終わってちょうど3ヶ月ほど経った頃です。

ちょうど年度末で、私の担当するプロジェクトでは、再度出張を伴うサブプロジェクトが始まっていた時期でした。ですが、どうやら私は通院のため出張できないらしい、という認識がようやくプロジェクト内に浸透しつつあり、私に現地立ち会いを求める人はほとんどいなくなりました。サブプロジェクトの成否に関してプレッシャーのかかる立場であることには変わりませんでしたが、採卵周期が始まってからは出張は控えさせてもらい、遠方から支援するスタイルに持ち込むことには成功しました。

初回の採卵のときと同様、ショート法で卵を育てることになりました。前回は、顕微授精させる前の卵子の段階では、大きさも数も申し分なかったので、今回も同じ育ち方をしてほしかったのですが、残念ながらそうはいきませんでした。卵胞の数は前回の半分程度で、生理が始まってから12日目、前回より1日早く採卵の日が決まってしまいました。

 

訃報

採卵を翌日に控えた朝、職場で仕事をしていると、母から父方の祖父の訃報がLINEで届きました。私の実家は新幹線を使ってドアからドアまで5時間弱のところにあり、亡くなった祖父は実家で同居をしていたのですが、前年の秋から肺炎をこじらせて入院し、そのまま施設に入っていました。祖父の延命をどうするか等で、一人っ子の父が苦悩していたため、私は凍結胚移植と仕事と昇進試験の勉強の合間を縫って、何度か帰省していました。そのため、祖父がもうあまり長くないことは知っていましたが、まさかこのタイミングとは思いませんでした。

まず採卵をどうするか悩みました。間もなく採卵の日がお通夜、その次の日がお葬式という日程の連絡を母からもらい、朝に採卵してそのまま実家に移動すればお通夜に十分間に合い、スケジュールが成立することがわかりました。卵を育てるための注射等の通院ですでに数万円かかっていましたし、お腹に育ったたくさんの卵を採らずにそのままにしておくのもこわかったため、予定通り採卵を進めることにしました。

そうと決まればあとは忌引休暇の日程を決めて、仕事を処理するだけでした。採卵の日から土日含めて4日間休むことにしました。サブプロジェクトも佳境を迎えていましたので大変ではありましたが、元々採卵のために休暇をとるつもりでしたし、むしろ休暇の理由を堂々と発表でき、周囲の理解を得易いため、引き継ぎもやり易くなりました。祖父が治療を応援してくれているのかもしれない、と思うことにしました。 ただ、やはり、そこそこ残業はすることになってしまいました。採卵の緊張感と祖父が亡くなった悲しみで張り裂けそうな胸を抱えながら働いたことは、今も忘れられません。

 

採卵

採卵は前回と同様全身麻酔で行われ、無意識のうちに終わっていました。

祖父を想って泣きながら目が覚めました。目が覚めた後も、しばらくベッドで声を殺して泣きながら安静にしていました。このときようやく仕事と採卵の緊張感から解放されて、泣くことができたのだと思います。看護師さんがびっくりしていました。

卵は8個採れたということでした。

病院を出て、近くのカフェで喪服を持って待機していた夫と合流し、そのままポカリを飲みながら新幹線に飛び乗って実家に向かいました。

OHSSのような症状もなく、無事お通夜、お葬式に出席し、祖父とお別れすることができました。

お葬式の終わった次の日は、夕方からの診察を受けるため、午前中に実家を出ました。