おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療9:お休み周期×3

お休み周期

初の採卵で得た3つの胚盤胞の移植がどれも陰性に終わってしまいました。

通院を始めた頃に参加したクリニックの説明会では、先生は、若くて健康なカップルが毎月タイミングをとっても、半年に1回妊娠するくらいの確率で、胚盤胞移植であれば、3回やってダメなら一旦やり方を見直した方がよい、とおっしゃっていたと思います。ちょうど私達は3回の胚盤胞移植が終わったところでしたが、先生は、まだ運が悪いだけかもしれないので、再度採卵しましょうとおっしゃっていました。私達も、次の採卵は精索静脈瘤の手術後になるので、やり方を見直すことになると考え、納得しました。

とはいえ、私は1ヶ月後に会社の昇進試験を控えていましたので、治療は一旦お休みすることにしました。試験の後も、少し遅めの年始の帰省等があったため、結果として3周期ほど見送りました。

なお、その間も、健気にも自己流でタイミングを取ったりしていたのですが、お休み期間中にまさかの自然妊娠、というような奇跡は、私達とは無縁でした。

 

昇進試験

不妊治療も一旦休止、仕事も繁忙期を一旦終え、ようやく昇進試験の準備に集中できるようになりました。そうなればこっちのもので、10年以上の年月を経て受験生のときの感覚を呼び戻しつつ、しゃかりきに勉強していました。試験範囲が広く、準備は大変ではありましたが、無事、そこそこの成績で合格できました。

 

会社での不妊治療イベント

この時期印象的だったことの1つが、会社で不妊治療に関するイベントが行われたことです。ライン長向けの不妊治療セミナーと、全社員向けの不妊治療のカウンセリングが開催されるということで、社内のあちこちの廊下にポスターが張り出されていました。

ようやく私達の時代が来たのか、と涙が出そうでした。

イベント当日は、ライン長達が次々とセミナーのために席を立つのを見てどきどきしたのを覚えています。セミナーではタイミング法から顕微授精までの概要や、そのための通院スケジュール例等の説明があったようです。

カウンセリングには、私も参加しました。私は治療の進め方についての具体的なアドバイスを期待していたのですが、そうではなく、ただ私の話を優しく聞いてくれる、というスタンスで、大変申し訳ないのですが、若干物足りなさを感じてしまいました。というのは、それまで私は、日々、夫だけでなく友人にも不妊治療に関する愚痴を吐き出していたのです。そのとき始めて、それはとても幸運なことだったのだと気付きました。

このセミナーのあった次の年度から、会社では、いくつかの有給休暇を取得する制度の適用範囲が拡大され、不妊治療を理由としても使えるようになりました。私は幸い不妊治療のために通院するにあたって、制度面でのハードルはなかったので、直接の恩恵はありませんでしたが、不妊治療をしている人に会社が配慮しつつある、ということが嬉しかったです。

 

妊娠報告

もう1つ印象的だったのが、友人と先輩からの妊娠報告でした。この2人は以前会社の会議室で一緒にランチをしたメンバーで、共に不妊に悩んでいた2人です。

昇進試験の合格がわかった頃、友人が言いづらそうに報告してくれました。すでに妊娠3ヶ月とのことで、本当はもっと早く言いたかったが、私の昇進試験の勉強中に動揺させてはいけないと思って我慢していた、とのことでした。彼女も妊娠初期で不安だったろうに、気を使わせてしまって申し訳ないと思いました。そして、高度治療こそしていないものの、彼女は彼女で子供を授かるのに大変苦労していたのを知っていたので、嬉しく思いました。夫も友人のことを知っているので、帰宅後に夫にも報告しました。夫が正直に「いいなー」と言ったのが、胸に突き刺さって今も忘れられもせん。

その少し後に先輩からもメールで報告がありました。友人とは1ヶ月違いということがわかりました。私はおめでとうございますと返信したのですが、不妊治療のダークサイドに長くいらっしゃった先輩は、おめでとうと言える私に驚いていました。そして、きっと私ももうすぐですよ、と言ってくださり、正直ほんの少しだけイラッとしつつも、でも嬉しいような、なんとも複雑な気持ちになったのを覚えています。

どちらもおめでたい話で、同世代なだけに、うらやましくありながらも勇気をもらい、嬉しい気持ちになりました。ただ、同時に、私は不妊治療の愚痴を聞いてもらう相談相手を失ってしまいました。出生前診断をどうするか等、すでに存在する命に関する高度な悩みを持つ2人には、私の先の見えない不妊治療の悩みなど話せない、と卑屈にも思ってしまったのでした。

 

不妊治療8:精索静脈瘤手術

夫の治療の状況

1つ目のレディースクリニックの初診の検査で男性不妊の判明した夫は、クリニックに週末だけ来られている泌尿器科の先生に診ていただいていました。

最初の診察で精索静脈瘤が見つかったため、半年先に手術を予約しましたが、この半年間も惜しかったので、先生達からの勧めもあり、私達は手術を待たずに顕微授精を進めていました。といっても手術までの間に行った採卵は1回だけでした。夫は採卵前まではクロミッドを服用し、診察を受けていましたが、採卵が終わった後は、通院はしていませんでした。

手術は、レディースクリニックではなく、泌尿器科の先生の普段お勤めの大学病院でしていただきました。そのため事前に2回、その大学病院に通院しました。1回目は先生の診察を受け、2回目は手術の際の麻酔が問題ないか確認するための採血等の検査をしてもらっていました。麻酔の方法は、脊椎麻酔と全身麻酔から選べたのですが、私と同様これまでに入院経験のない怖がりの夫は、意識のないうちに手術の終わる全身麻酔を選びました。

 

2泊3日の入院手術

私の怒濤の繁忙期が終わり、2回目の凍結胚移植の判定日を待っていた頃、ようやく夫の精索静脈瘤手術の日がやってきました。病院によっては日帰り手術をしているところもあるようなのですが、夫の場合は2泊3日の入院でした。ちなみに、保険適用でした。

 

初日は午後から入院で、一応私も午後休をとって付き添いました。

この日はまず入院の手続きをした後、病室に案内され、食事や風呂トイレ等について説明を受けて夫がパジャマに着替えました。しばらくすると、剃刀を携えた看護師さんが現れ、私はカーテンの外に出るよう言われました。事前に、手術の邪魔にならないように下の毛を剃ってくるよう指示されていたのですが、きちんと剃れているかのチェックを受けていました。

病室は大部屋だったのですが、同じ部屋には夫の他に2~3名の方がおり、そのうち1人は夫と同じ手術を受けるようでした。その方には奥様とお子さんが付き添っていました。確か以前先生が2人目不妊精索静脈瘤手術を受ける方はわりといる、というようなことをおっしゃっていたので、なるほどと納得しました。

夕方頃、先生からお話があり、再度手術の内容やリスクについて説明していただき、私は帰宅しました。

 

2日目は手術の日で、私は全休をとって朝から付き添いました。夫は全身麻酔で意識がなくなるので、万一何かあったときに判断ができるよう、家族の立ち会いが必要、ということでした。

担架に寝かされた夫が手術室に運び込まれるのを見送るのは、さすがにゾワっと鳥肌が立ちました。子供さえ望まなければ、健康な夫の身体にメスを入れることもないのに、と後ろめたい気持ちになりました。

手術は数時間だったと思います。その間、私はデイルームで持ち込んだ昼食をとったり、1ヶ月半後に控えた会社の昇進試験の勉強をして過ごしました。あらかじめ聞いていた手術の所要時間を少し越えて、少しハラハラした記憶があります。

手術が無事終わり、昏睡状態の夫が病室に運び込まれた後は、私も病室で過ごしました。さすがに意識のない夫の隣で試験勉強をする気はおきず、小説を読みながら夫が目を覚ますのを待ちましたが、小説もほとんど頭に入ってきませんでした。

数時間後、もう夕方だったと思いますが、夫が目を覚ましました。私が病院にいた間は夫はまだぼんやりとしていて、私は飲み物を頼まれて買いに行ったり、たわいもない会話をしたり、再び眠る夫のそばで小説を読んだりして過ごしました。

後に夫から聞きましたが、面会時間が終わり私が帰宅した後に麻酔が切れたようで、大分痛かったようです。

 

3日目は私は付き添いませんでしたが、先生の診察を受けて無事退院しました。

 

術後の経過

夫は退院の2日後にレディースクリニックの方で再度先生の診察を受け、傷口が閉じていることを確認してもらっていました。傷口は溶ける糸で縫われているため、抜糸は必要ないようでした。

その後は、手術当日の夜ほどではありませんが、1週間ほど鈍痛はあったようです。

また、術後しばらくは便秘に気を付けるよう指示があり、夫は少し落ち着かないようでした。便秘でいきむと傷口が痛むだけでなく、静脈瘤が再発してしまう恐れがあるとのことでした。

傷口の傷みよりも、毛を剃ったことによるチクチクに悩まされていた期間が長かったように記憶しています。手術の2カ月後に温泉に行く予定にしていたので、恥ずかしくないか気にしていました。一応個室風呂もあるところを予約していましたが、その頃には特に問題なく大浴場に入れるようになっていたと思います。

数ヵ月後の診察で、静脈瘤がなくなったことを確認してもらいました。

 

手術の効果

元々先生は、手術の効果が出るまでに半年はみておいた方がよく、半年経ってももしかすると精液検査の数値は改善しないかもしれないが、数値に現れない精子の質は改善するはず、とおっしゃっていました。

実際、術後1年くらいはクロミッドは服用せずに、月に1回精液検査をして手術の効果を確認していました。残念ながら、若干数値はよくなったものの、WHOの基準値を超えることはありませんでした。

私達は、手術の効果はあったと思うことにしていますが、早く技術が進化して、このようにまだ明らかになっていない特性が見える化されるといいなあと思います。

 

 

不妊治療7:凍結胚移植2回目

2回目の凍結胚移植の方法

前周期では、初の採卵で凍結した2つの胚盤胞のうち、見栄えの良い方を移植しましたが、着床せずに終わってしまい、次の周期で最後の1個を移植することになりました。

前回の移植で惜しいところまでいったので、基本的には同じ方法で移植することになりました。

ただし、移植前の子宮への刺激方法をレベルアップさせ、前回は消毒であったのに対し、この周期では自己血リンパを試すことになりました。

移植の3日前に通院し、まずは採血してもらいます。数時間待っている間に、私の血液からリンパ液を抽出してもらい、それを子宮に入れてもらう、というものでした。

移植やその後のホルモン補充も前周期と同様になりました。

治療自体は淡々と進むのですが、この周期は私の不妊治療期間の中で1、2を争う、本当につらい周期になりました。

 

仕事の状況

まず、私の担当するプロジェクトが佳境に入っており、多くのメンバーが2〜3週間ほど出張をして、現地でサブプロジェクトを進める時期に入っていました。当時まだ私は管理職ではありませんでしたが、当初、私も出張して、現地でのとりまとめをするよう期待されました。ですが、通院できなくなってしまうため、お断りし、通院のない日のみ出張することにしました。

前の月にこのサブプロジェクトのスケジュールを立てなければならなかったため、生理開始日と排卵日を予測して、そこから移植の日とその後の黄体ホルモンの注射の日を予測して、サブプロジェクトのスケジュールと出張のスケジュールを組みました。ですが、いざ蓋を開けてみると、生理開始日も排卵日も遅れてしまい、出張のスケジュールを変更しなければなりませんでした。サブプロジェクトの期間はちょうど移植前から判定日あたりに被ることになり、1〜2泊の出張を繰り返すことになりました。

当然プロジェクトメンバーからは白い目で見られ、面と向かっては言われませんでしたが、無責任だと文句も言っているのも聞きました。ですが、自分と夫の間では優先順位は決めていましたので、心を強く持って、治療優先のスケジュールを貫きました。現地に張り付けないことをメンバーに謝罪しました。ただ、その理由は「通院治療のため」、としか言えませんでした。

自己血リンパの次の日から1泊で出張して、帰ってきた次の日に移植、その次の日は日中休んで夜に出張先に戻って1泊して、また帰ってきた次の日に黄体ホルモンの注射を射ってもらったその足で出張先に戻って2泊して、という目まぐるしい日々を過ごしました。注射だけでも出張先の近くのクリニックで射ってもらえたらよかったのですが、2件ほど問い合わせてお断りされてしまいました。

このような、治療と仕事が入り組んだ日程を計画したのは自分自身ですが、せめて出張中以外は仕事を忘れて穏やかに過ごしたいと思うのに、それも叶いませんでした。出張中に必要な調整を終わらせずに私の帰りの新幹線中にメールで相談を受けたり、休みの日に電話がかかってきたりしていました。また、現地でも屋外作業をあらかじめ丁重にお断りしているのにさせられそうになったり、寒いホテルのロビーで夜遅くまで仕事させられた日もあり、本当にイライラしながら過ごしていました。

結局このサブプロジェクトは、炎上して終わってしまいました。

私が不妊治療をしていなければ炎上を避けられたのか、そもそも私がこの仕事に関して未熟だったのか、それとも、私の状況とは関係なく炎上せざるを得なかったのか。何が原因で、どうすればうまくいったのか、いまだに整理できずにいます。

 

昇進試験準備の状況

加えて、昇進試験の準備も進めなくてはいけない状況でした。

部署によってはまだこの時期には試験勉強を始めていないところがあるのも知っていたので、本格的に準備を始めるのはこの周期が終わってからにしようと考えていました。ですが、部門長(直属の上司の更に上の方)が大変な熱血タイプで、顔を合わせる毎に進捗を聞かれるのが、大変ありがたいことなのに申し訳ないのですが、ストレスでした。

昇進試験では、自分が今後会社をどのように変えていくのかを文章でアピールする必要があるのですが、これの準備が本当につらかったです。

「今後会社をどのように」と言われても、不妊治療中の自分にとっては、「近い将来出産・育児のために休業している自分」が理想の状態なわけです。自分の休業中の会社がどうなろうと知ったことではない、と思っていました。

今思えば大変未熟な考えでしたが、こんな状態では作文も進まず、でも早くドラフトを書いて部門長の添削を受けなければ、という焦りが常に心の片隅にありました。

 

移植の結果

不妊治療と仕事と昇進試験の三重苦で、頭がおかしくなりそうでした。

心身共にストレスフルな環境で、どんなに良い胚盤胞だったとしても着床しなかったのではないかなあと思います。

夫が、一貫して、治療を続けて欲しい、と言ってくれたのが心の支えでした。あるいは本心ではなく、そう言わなければいけない立場であるからそう言ったのかもしれませんが、言葉にして言ってくれるだけで十分でした。

移植の10日後、サブプロジェクトの終わった頃に判定日があり、HCG25.7でした。ダメとは思うが一応3日後に自宅で尿検査で再判定をするよう言われて病院を後にしました。

案の定、自宅での再判定も陰性に終わりました。

 

不妊治療6:不妊治療の先輩との出会い

確か、私が1回目の凍結胚移植をしていた頃、同じ会社で不妊治療をされている先輩とお話しする機会がありました。

私は自分が不妊治療をしていることを仲の良い同期の友人に打ち明けており、日頃から治療の進捗や愚痴等を聞いてもらっていたのですが、その友人の紹介で、一緒にランチをとることになりました。

先輩、友人、私の3人で、それぞれ自分の治療歴を話し、通っている病院や治療法について情報交換しました。

当時その先輩がどれくらいの期間不妊治療を続けてこられていたのか覚えていませんが、職場の妊娠ラッシュへの不満だけでなく、この後私や友人が妊娠したら恨んでしまうだろうからあまり仲良くならない方がよいかもしれない、というようなことまでおっしゃっていて、その闇の深さに怯えた記憶があります。

そのように当時の私が感じたということは、その頃はまだ、そこまで私の闇は深くなく、希望を持って治療をしていたのだと思います。次の月に控えた夫の精索静脈瘤手術を頼みの綱とし、これさえ終われば現状を打破できるかもしれない、と大きく期待していました。

 

ランチの後もしばらくメールでのやり取りが続き、私は仕事との両立に関する悩みを打ち明けました。

この3人は、専門分野は違えど、全員技術系の仕事をしており、机上でのPC作業だけではなく、屋外や工場内等の現場での立ち会いの仕事もあるのが共通点でした。

私は次の周期に出張を控えており、出張先で、吹きっさらしの屋外の現場での立ち会いを求められることを心配していました。

妊娠中であれば、「寒い場所での立ち仕事はNG」としても、職場の理解が得られる気がするのですが、不妊治療中に同じ主張をできるのか不安でした。

例え不妊治療をしていなかったとしても、妊娠を希望している女性が寒い場所で立ち仕事をするのはよくないと思うのですが、男性ばかりの職場でそういったセンスを持ち合わせていることは期待できませんでした。

正確な文面は覚えていませんが、先輩は、定年までがんばればこの先20年くらい仕事はできるだろうが、妊娠できる期間はこの後数年あるかないかであって、どちらを優先すべきかは自ずと明らかになるはず、とおっしゃっていました。

当時、この先輩の闇の深さには苦手意識を持ってしまってはいましたが、先輩の言葉は、この後もずっと心の支えになりました。

 

不妊治療5:凍結胚移植1回目

初の採卵で凍結した胚盤胞は2つあり、見栄えの良い子から移植していくことになりました。前周期と同様、排卵をさせてから、移植をすることになりました。この周期ではなんとか排卵日を特定でき、移植に進むことができました。

確か、このときは、排卵後、移植の数日前に、着床しやすくなるように、子宮内の消毒をしてもらいました。消毒により細菌をなくすことで環境を整える以外に、もう一つ意味を持っているとのことでした。自然妊娠では、初期胚が子宮に対して、着床し易いように準備するよう信号を出しているという説があるので、胚盤胞を移植する際も、初期胚の代わりに何か子宮に刺激を与えるとよい、その方法として、消毒も有効である可能性がある、という説明だったと思います。

移植後は、新鮮胚のときと同様、座薬と注射で黄体ホルモンを補充する日々が続きました。

この頃の仕事は、私の担当するプロジェクトが全体的に遅れてしまったため、意外と出張は少なく、移植後に日帰りや短期の出張が2回あった程度でした。それらも運良く黄体ホルモンの注射の日とずれたので、日程調整の必要はなく、精神的に楽でした。

移植の数日後、職場で、いつものようにドカッと椅子に座った際、腰に響くような、いつもと違う感覚があったので、これはもしかしたら、と期待しつつ過ごしていました。

移植の9日後に判定日があり、HCG66.6で4日後に再判定となりました。再判定ではHCG10.9となり、残念ながら成果は出ずに終わりました。

1回目の判定日の帰り道の、夫の浮かれっぷりはよく覚えています。この後ダメになってしまうかもしれないけど、今この瞬間は妊娠しているから、と言って、私に電車の優先座席を勧めてくるほどでした。

再判定の日、先生によれば、着床しかかったのだろう、ということでしたが、一度浮かれた分、大変ショックを受けてしまいました。

そのため、この次の周期は、いよいよ仕事が忙しくなることはわかっていたのですが、もう止まることはできませんでした。

 

不妊治療4:凍結胚移植に進むまで

不育症検査

初の顕微授精はガッツリ刺激するショート法での採卵でしたので、次の周期はお休みすることになりました。

この間に不育症の検査として、NK細胞の血液検査と、子宮鏡検査をしましたが、どちらも問題が検出されることはなく終わりました。

また、ちょうど夏休みにかぶる周期でしたので、もし妊娠したらできなくなることをしよう、ということで、夫と一緒に富士山登山にチャレンジしたり、遊園地でジェットコースターに乗ったりして遊びたおしていました。

 

初の凍結胚移植は未遂

夏休みを終えて、休み前に凍結した胚を移植することになりました。

私は排卵にも特に問題がなかったので、排卵をさせてから移植することになりました。

この方法は、確か排卵までは投薬がないので、身体は楽なのですが、排卵日を特定しなければならないのが課題でした。

排卵日の数日前から、1日2回ずつ検査薬を使って、反応が出始めたら通院して先生に診てもらいます。

最初の周期では、反応が出たと思って診察を受けたらフライングで数日後来るよう言われ、次に行ったときには逃してしまい、何もできず終了となってしまいました。

 

仕事や昇進試験との両立に関する迷い

当初はこの周期で一旦お休みにしようと思っていました。

次の周期から下期に入り、私の仕事が繁忙期に入る他、次の年始に昇進試験を控えていたのです。繁忙期に入ると、新幹線に乗る距離の県外への出張が増えることがわかっていました。また、昇進試験も、そこそこの量の勉強が必要だと先輩達からは聞いていました。しかも、単に受かれば良いというわけではなく、(バカバカしい仕組みですが、)将来出世したければ良い成績で受からなければならない、というものでした。私は自分が将来社長になるような器とは思いませんが、ほどほどでよい、と言ってしまえるほど無欲ではありませんでした。

昇進試験の受験には年齢制限があることも知っていました。具体的な年齢はわかりませんが、同期でも早い人は前年度に受けている人もいたので、私は若干焦ってもいました。上司からは、「できるだけ早く受けておいた方がよい」と言われるのみで、妊娠中ならまだしも、「妊娠希望中」が理由では断ることはできませんでした。

しかし、これらの繁忙期や昇進試験が全て終わるのは半年後です。すでに不妊治療の知識を身に付けつつあった私達には、35才の半年間は大きいことを理解していました。

そのため、私は、繁忙期の仕事の成果をあきらめました。

引き続き、次の月に凍結胚移植にチャレンジすることにしました。

 

 

 

 

不妊治療3:はじめての顕微授精

ショート法

はじめての顕微授精は、院長先生にすすめられた通り、ショート法で行うことにしました。

私に特に問題が見つからなかったこと、男性不妊であれば受精卵が育たないこともあるので、たくさんとれる方法がよいということもおっしゃっていたと思います。

正直なところ、はじめての周期は淡々と進んだので、あまり記憶に残っていません。毎日の投薬で徐々に身体はしんどくなっていきましたが、この頃はそれほど仕事も忙しくなく、また、妊娠できるかもしれない、と希望に満ちていたので、気持ちはつらくありませんでした。

生理が始まって採卵までは、1日3回ブセレキュアを吸い込みつつ、注射のために通院してから出社する生活を送りました。病院は自己注射も許容しているようだったのですが、私はもともと採血や注射が苦手であったため、通うことにしました。

はじめの3日間はゴナールエフ、次の5日間はHMG、最後の1日はフェリングを注射してもらいました。3日に一度診察があり、先生が卵の様子を診ながら注射の内容を調整されていました。

卵が育ったところでHCGを射ってもらい、採卵に臨むことになりました。

採卵前日は通院もなく、久し振りに仕事がはかどるなあと思いました。

 

採卵

採卵の日には1つだけアクシデントがありました。夫が朝自宅で採精していたのですが、自分で傷付けて血が混じってしまったので、手で取り除いたと言っていました。どれほど影響が出るのかわかりませんが、私のお腹にたまった大量の卵は採ってもらわないわけにはいかないし、採った卵を受精させずにおくわけにもいかないと思ったので、予定通りに採卵に臨むことにしました。

卵の数が多いので、採卵は全身麻酔で行われました。私はそれまで、全身麻酔は勿論、入院すらしたことがなかったので、大変緊張しましたが、意識が戻ったときには採卵が終わっていました。麻酔がとけてしばらくすると、やはりお腹が痛くなってきたので、ベッドでゴロゴロしていたと思います。

初の採卵は17個でした。

病院を出た後は、身軽になったのがなぜか嬉しくて、調子に乗って午後から出社して仕事していましたが、さすがに頭痛や発熱がおそってきたので、早退し、次の日も休んでしまいました。

 

移植

採卵の後は黄体ホルモン漬けの日々が始まり、1日3回座薬をいれつつ、3日に1度注射に通いました。

受精卵達は、初期胚までは調子が良かったのですが、胚盤胞まで育ったのはたったの3つでした。

採卵の5日後に、一番できの良い子を移植しました。

移植は麻酔をしないのですが、最初に入る消毒の器具がとても痛かったです。

採卵のときと違って意識があるので、移植後、看護師さんが片付けをされてる間、同じ部屋の中でパンツを履くのが妙に恥ずかしかったのを覚えています。更にHCGを射ってもらって帰りました。

先生に特に指示されたわけではありませんが、移植の次の日は休みをとってゴロゴロしていました。

 

判定日

この頃はまだ判定日まで身体の症状を気にし過ぎることなく過ごせていたと思います。

移植の8日後に判定日があり、HCG6.7であえなく撃沈しました。

特に根拠もなく、この1周期で成果を出す気満々でしたので、とてもショックでした。

このあたりでようやく、自分達が不妊治療の沼に片足突っ込んでしまったことに気付きました。