おもちの日記

不妊治療の振り返り、現在の育児のこと、趣味のことを綴ります

不妊治療16:排卵フォロー周期

2つ目のクリニックの初診

1つ目のクリニックへの最後の通院から1か月弱ほど空いて、2つ目のクリニックへの通院が始まりました。

はじめての診察は平日でしたので、有休をとって受診しました。

細かいことは大分忘れてしまいましたが、まず待合室の広さにびっくりしました。こんなみなとみらいの一等地に、ただ待つためだけの場所にこれだけ広い面積を確保できるなんて、贅沢だなあと思いました。ですが、前のクリニックのぎゅうぎゅう詰めで殺伐とした待合室を思えば、こちらの方が悲壮感が薄れてゆったりした気持ちで待てるので、通院自体が嫌になってしまっていた私には必要なことかもしれないと思いました。

血液検査等は前のクリニックのものを使い回してもらい、新規で受けたのは甲状腺機能の検査くらいだったと思います。採血は今までで一番痛くなく、感動したのを覚えています。こちらのクリニックでは、ほぼ毎回採血してもらいましたが、毎回痛くありませんでした。

初診はあっさりと終わったと思います。これまでの治療の内容と、ERA検査をしたい旨を先生にしました。こちらのクリニックは担当医制になっており、私の通院時間帯の希望から、恐らく初診とは異なる先生が担当医になると思うので、次回生理3日目に通院して、担当医の先生と相談して治療方針を決めるよう勧められて終わりました。

 

排卵フォロー周期

初診の後、生理3日目が確か出張で通院できず、4日目に通院しました。私は、当時その5か月前に採卵をしていたこともあり、まずはじめの周期は遺残卵胞を無くすために使うことになりました。そういった周期を排卵フォロー周期と呼んでいるようでした。この周期は、排卵までは特に何もせず、排卵直前にスプレキュアを鼻から吸い込んで、その次の日から12日間、毎日プラノバールを飲んで次の生理が始まるのを待つ、というものでした。前のクリニックでは、採卵前は毎日スプレキュアを吸い込んでいたのに、こちらのクリニックでは排卵のときしか吸わないことにショックを受けたのを覚えています。プラノバールで具合の悪くなる方もいるそうですが、幸い私は特にダメージを受けることなく過ごすことができました。

確か、排卵直前を確認してもらう診察で、はじめて担当医の先生に会うことができました。先生からは、これまで胚盤胞の移植が多かったので、まずはこちらのクリニックの推している初期胚の移植を試してみるよう勧められました。それでダメなら、また排卵フォロー周期を挟んで、その次の周期で採卵とERAの検査をして、胚盤胞の凍結を目指してはどうかということでした。ERAの検査は排卵から5日目に内膜を採取するので、その周期は移植することができないということでした。まずはこちらのクリニックの得意なやり方を試してみるのも良いと思い、先生の提案を受け入れました。

 

会社を早退しての通院

こちらのクリニックは、そこまで夜遅くまではやっていませんでしたので、毎回会社を早退して通院することになりました。

直属の上司とは年に数回個室で面談する機会があり、その度に不妊治療中であることは伝えていましたが、上司以外の普段一緒に仕事をする人々には、相変わらず治療中であることは伝えていませんでした。

ですが、この頃には突然の休暇・早退で周りの方々に迷惑をかけてしまうことによる精神的苦痛は大分薄くなっていました。

仕事が前年度ほど忙しくなくなってきていたことも理由の1つではあると思いますが、同じ部署のちょくちょく会社を休まれている管理職の方を見ていて、1つの考えに至ったことも影響していると思います。

その方の休みが長くなってしまったときは他の人がサポートし、その方がまた出社したときはサポートしてくれた人に謝罪しつつ元の仕事を引き継いで、ただ淡々と働いていらっしゃいました。私はその方が何の病を患っているのか知りませんが、迷惑だからこの部署からいなくなれ、とは思いませんし、そのようなことを言うような人も部署にはいません。

不妊治療は、少なくとも当時健康保険が適用されていなかったとはいえ、医療行為です。医療行為を受けるために通院が必要で、そのために休暇や遅出早退をするという点において、少なくとも会社にとっては、不妊治療も他の病気と同じなのではないかと思うようになりました。

私が、もし、見た目からはわからない何か有名な重い病気を患っていたとして、職場の人に話すだろうか、と考えたとき、恐らく、わざわざ病名や症状を話さないだろうなあと思いました。

だから、わざわざ自分が不妊治療中であることを宣言する必要もないし、不妊治療クリニックへの通院のために早退が必要なら、「通院のため」とだけ言えばよく、「不妊治療クリニックへの通院のため」と言う必要はないのだという結論に達しました。

不妊治療15:2つ目のクリニック

2つ目のクリニックを選んだ理由

はじめのクリニックでの2回の採卵と5回の移植を終え転院を決意した私達夫婦は、みなとみらい駅の近くにある、ナチュラル志向で有名なクリニックを、2つ目のクリニックとして選びました。

  1. 家や会社から通えるところ
  2. 実績がありそう
  3. 「IMSI」を試せる
  4. 1つ目のクリニックとは違う方針の治療法を試せる

という理由で選びました。

1と2は1つ目のクリニックを選んだときと同じです。

1つ目のクリニックを選ぶときに条件にしていた

  • 定時後に診察を受けられる

はこの際捨てることにしました。

3と4は、クリニックのホームページを調べたり、主催する説明会を聞いたりして決めました。

当時、このクリニックで成果を出せなければ、着床前診断に取り組んでいるという神戸のクリニックに転院しようと考えていました。自宅からは非常に遠いですが、幸い私の実家は辛うじて通える範囲にあるので、有休を使い切るか、あるいは休職してでも通院しようと、腹をくくり始めていました。

 

説明会で印象に残ったこと

5回目の移植に臨む頃から転院は考え始めており、移植の後、判定日の前に2つ目のクリニックの説明会を聞きに行っていました。

そのクリニックの方針は、一卵入魂と言いますか、私が今まで取り組んできたショート法などとんでもないことで、投薬を控えめにして少数精鋭の卵子を大事に育てるという方針でした。あまりにも1つ目のクリニックと逆のことをおっしゃるので、夫がとてもびっくりしていました。

1番印象に残ったのは、院長先生の遺残卵胞の話でした。私が1つ目のクリニックでの採卵で試していたショート法等では、採卵のために卵巣を刺激して沢山の卵を育てるのですが、採卵の際に採り残してしまうものがあり、これを遺残卵胞と呼んでいました。次の周期では、新しく生まれた卵胞を差し置いて、この遺残卵胞が栄養分を吸収してしまい、見かけの上では立派な主席卵胞に育つのですが、実際は質の悪い卵子にしかならず、いざその卵子体外受精等を行ってもうまくいくことはない、ということでした。ただ、私の場合は、ショート法で2回採卵しましたが、採卵と採卵の間は半年以上空いていましたので、さすがに遺残卵胞が悪さをしたことはなかったのではないかと思っています。

2番目に印象に残ったのは、培養室の室長の方がお話されていたことでした。1つ目のクリニックでは、培養士の方との接点はあまりなく、移植のときに胚の説明をうかがう程度だったので、大変興味深くうかがいました。どういう専門の方が培養士になるのだろうと常々疑問に思っていましたが、獣医学部出身の方が多いということで、なるほどと思いました。

その他は、院長先生も培養室長も、新宿の加藤レディースクリニックの出身であることを繰り返されていたことが印象に残りました。

本当はIMSIについて詳しく聞きたいと思っていたのですが、残念ながらあまり情報は得られませんでした。事前にホームページで読んだところでは、こちらのクリニックでは、顕微授精をする際に、通常より精度の良い顕微鏡を使うので、ICSIではなくIMSIなのだとしていました。私達は、男性不妊に悩み、顕微授精の際にどうやってベストな精子を選ぶのかについて興味を持っていましたので、顕微授精で多く使われている顕微鏡とどう違うのか詳しく知りたいと思っていました。

 

男性不妊への対応の度合いについては、実は1つ目のクリニックとあまり変わらないのではないだろうか、と若干もやもやしつつも、女性側の治療方針は大きく変えられそうなため、おしゃれなみなとみらいに通えるワクワク感もあり、また希望を持って通院を再開することになりました。

不妊治療14:1回目の転院

判定日の先生からの説明

1つ目のクリニックでの2回の採卵、5回の移植が終わりました。

5回目の移植の判定日、先生からの説明はやはり、胚盤胞のグレードは見た目で判定していて、実際に着床するかどうかは移植してみないとわからない、ということでした。

そして、次の手として、ERAという着床の窓の検査を勧めていただきました。胚盤胞を移植する際は通常排卵の5日後としているが、たまに移植のタイミングをずらした方がうまくいる人がいるので、そのずれがないかを調べる検査ということでした。当時、そのクリニックはERAの検査を始めて間もない頃でしたが、そこそこの費用はかかるものの、検査結果を見て移植のタイミングを調整することで着床した例がそこそこあるということでした。

 

転院を決めた理由

先生からまた新たな検査を提案いただいたものの、この頃には、大変申し訳ないのですが、残念ながら私達夫婦はそのクリニックを信頼できなくなってしまっていました。今思い返すと、その理由は次の4点だったと思います。

  1. 1年で成果を出せないクリニックには見切りをつけるべき
  2. 夫への対策が精索静脈瘤手術以降何もない
  3. 胚盤胞の良し悪しを移植前に見分ける方法はあるが流産経験のある人にしか適用されない
  4. ちょっとしたミスがあった

1については、どこかのWebサイトで読んでなるほどと思ったことでした。クリニックによって、先生の判断も使う薬も培養液も異なり、合う・合わないの個人差が大きいので、今通い続けているクリニックが自分に合っていないリスクを頭の片隅にいれておくべき、ということだったと思います。

2は、私が感じていた違和感でした。元々私達の不妊治療は、夫の精子が少ないことからスタートし、いまだそれが改善していないのに、胚をいかに私の子宮に着床させるか、ということにばかり努力をしているように感じていました。夫については精索静脈瘤手術をした後は特に何もしていませんでした。顕微授精を行っていることが自体が対策であることはわかるのですが、それがうまくいかないとき、次の手段があまりないことが気にかかっていました。また、顕微授精においても、良さそうな精子を恐らく見た目で選ぶのだと思いますが、その選び方も職人の手に委ねられているのだろうと思うと、1とも関連して、なんとも心もとない気がしていました。

3は冒頭の判定日の説明の際、先生がおっしゃっていたのですが、少なくとも当時は、流産経験のある人には、いわゆる着床前診断と思われる、移植前に胚盤胞の遺伝子を調べることもしているようでした。ですが、まず妊娠すらしない私には矛盾した話に聞こえました。そして、後々Web等で調べるにつれ、これはこのクリニックの問題ではなく、日本産婦人科学会が着床前診断を規制していることが背景にあることがわかりました。同時に、どうやら神戸には、この学会をものともせず、着床前診断に取り組んでいるクリニックもあるということもわかりました。この件に関しては私よりなぜか夫の方が腹を立てていたと思います。

4は、大したミスではないのですが、1つのきっかけになった出来事でした。5回目の移植の後は治療をお休みをするつもりだったのですが、たくさん投薬もしていましたし、自分の身体の状態が不安だったので、次の周期の排卵日頃に一度通院しました。排卵日を見てもらえればタイミングをとれるかな、くらいに思っていたのですが、今から思えば、冷やかしともとれるので、やめておくべきでした。いつも移植の数日前には子宮の消毒をしてもらっていたのですが、内診の際に、同様の消毒をされそうになりました。先生が消毒の効果を説明くださったときに、内診台の上にいる私が気付いて、「移植する胚がないので、、、」と言って処置をお断りすることができました。この悲しい台詞を言う羽目になってしまった辛さはありましたが、これだけ多くの患者さんを抱えてお忙しい先生の元に、イレギュラーな通院をしてしまった自分が悪かったのだと思いました。同時に、これだけ多くの患者さんを抱えていらっしゃる先生は症例の数に困ることもないでしょうし、いつまでも成果を出せない患者はむしろ扱いに困るだろうなあと思ってしまった出来事でした。

 

信頼云々以前に、このクリニックに通院する生活が嫌になってしまったというのもあったと思います。通院の日は、朝病院を予約してから出社し、定時で退社して病院に向かい、病院の近辺で夕食をとりながら時間を調整して、順番を待って、診察を終えて帰宅したら22時くらいでもう疲れ切っている、というスケジュールでした。私自身、クリニックを選ぶ際は定時後に通院できることを条件にしましたし、同様の人が多くてクリニックも混むのだと理解はできるのですが、とにかく、通院そのものがつらくなっていました。

 

まだ夫の精索静脈瘤手術が終わって十分効果が出るまで経っていませんでしたし、2回の採卵も正直万全の状態で臨めたわけではありませんでしたので、ここで転院するのはフェアではないのではないかとも思いました。恐らく不眠不休で働いてくださっている先生と、一緒に成果を出したいという気持ちもありました。ですが、不妊治療において患者がフェアである必要はないし、何よりもうそこのクリニックで妊娠できる気がしなくなってしまっていたので、私達は転院することにしました。

 

 

不妊治療13:6日目胚盤胞の移植

2回目の採卵の後、2か月のお休み周期を経て、凍結していた最後の6日目胚盤胞を移植することになりました。

私はそれまでにすでに4回の移植をしていて、うち2回は凍結胚の移植だったのですが、2回共排卵をさせてから移植するスタイルでした。通算5回目の移植となるこの周期では、移植するのが6日目胚盤胞で、排卵後5日目に移植すべきなのか6日目に移植すべきなのかはっきりしないということと、これまでと少しでもやり方を変えてみようということで、はじめて排卵をさせない方法を試すことになりました。

生理初日に通院し、生理3日目から1日2回ジュリナを飲み、2日に1回エストラーナテープ3枚をお腹に張り替える生活が始まりました。

生理開始から12日目の診察で移植の日を決め、子宮の消毒をする日がその3日前、1日2回の黄体ホルモンの座薬を始める日が更にその3日前に決まりました。それらの日程に合わせて、黄体ホルモンの注射の日が決まりました。

 

過去の凍結胚移植では、排卵日を見極める必要があったのが、この方法はそれがないので気が楽でした。加えて移植の日を選べ、選んだ後はほぼ確定するので、仕事の調整がし易いという点では楽でした。通院の回数も比較的少なかったと思います。

ですが、やはり生理が始まってから1周期の間、ほぼほぼずっと薬漬けになるので、心身共にとてもつらかったです。上記以外にもビブラマイシンを飲んだり、アスピリンを飲んだり、フロモックスを飲んだり、今となっては目的が思い出せないものもあり、とにかく薬の種類と量が多い周期でした。移植後はいつも、妊娠できるのかできないのか気になってしまうイライラが、投薬で通常時より増量した黄体ホルモンでブーストされて、とてもイライラしてしまうのですが、この周期は最高にイライラして過ごしました。

余談ですが、この1つ目のクリニックに通っていた頃は宿泊出張の機会がとても多く、エストラーナテープを夜出張先のホテルで張り替えることもしばしばありました。テープでかぶれたお腹を見て、私は一体何をやっているんだろう、とため息をついていました。今思えば、不妊治療を始めるまでは仕事のことだけ考えていればよかったのが、治療を始めてからは仕事とプライベートの両方がある意味充実してきて、それぞれに課題を抱える状況になったのに、まだ頭の切り替えがうまくできていなかったのだと思います。

 

移植は土曜日を選びました。移植の前は尿をためる必要があるのですが、この周期を含め、暑い季節は水分補給をしたくなるので、トイレに行けないのは地味にストレスでした。凍結時4BAだった胚盤胞は、融解して6BAになっており、6日目胚盤胞ということ以外は優秀な方だったのだと思います。加えてこれまでとは異なる薬の飲み方をしているので、わずかながらも期待して過ごしていました。

移植の8日後に判定日があり、HCG0.602mIU/mlで陰性となり、1つ目のクリニックでの最後の移植が終わりました。

奇しくも判定日は私の誕生日の翌日で、夫と2人で夕食のためにレストランを予約していました。もし陽性なら最高に楽しい気分で食事できるし、陰性の場合でも気分転換にちょうど良いだろうと考えていたのですが、さすがに、もう、レストランでの食事では気分を転換しきれませんでした。夫の手を握り、泣きながら帰宅したことは、今も忘れられません。

不妊治療12:お休み周期×2

お休み周期

年度末の激務の中挑んだ2回目の採卵4回目の移植が不発に終わりました。

判定日の日、辛うじて採卵から6日目で胚盤胞を1つ凍結できたことを先生からうかがったのですが、ショート法で採卵をしていたので、その次の周期は、お休みとなりました。

緊張の糸がぷっつりと切れてしまった私は、ゴールデンウィークの連休を使って、久しぶりに海外旅行に行くことにしました。ただでさえ不妊治療にお金がかかっているのに、ゴールデンウィークに海外旅行なんて贅沢は許されるのか、後ろめたい気持ちもありましたが、何よりも一旦気分を変えてリセットしたいと思い、大枚をはたくことにしました。旅行を優先した結果、2周期休むことになりました。

 

仕事量の調整

このお休み周期中に、不妊治療を始めてからちょうど1年が経過しました。もしかしたら私達は授かれないのかもしれない、と思い始めていました。こうなったら仕事の評価も昇進も気にしている場合ではないと考えていた頃、ちょうど年度が変わり、上司の思惑・配慮とも重なったのか、仕事を少し減らすことができました。

前年度に大炎上させたプロジェクトが、大炎上とは別の理由で規模縮小せざるを得なくなり、類似の別プロジェクトが立ち上がりました。こちらのプロジェクトにも当然参加することにはなったのですが、私よりはるかに経験があり職位も上の方がとりまとめることになったので、少し肩の荷を降ろすことができました。その他にも、前年度はプロジェクト以外の職場の様々な活動を担当していたのですが、いくつかを辞退することに成功しました。

 

兄弟からの妊娠報告

この時期、私達夫婦の身近な人で妊娠する人が大変多かったように感じます。私自身が気にし始めたというのもあると思いますが、当時30代半ばでしたので、同世代の友人・知人が駆け込んだのだと考えれば当然かもしれません。

このお休み期間中のことだったと思いますが、兄弟2人の妊娠報告を受けることになりました。

1人は私の弟夫婦からで、前の年、私が2回目の凍結胚移植をしていた頃に結婚したのですが、祖父の四十九日法要の後の会食の際に打ち明けられました。義妹が喪服には少し合わないデザインのヒールのないパンプスをはいていたのに違和感を感じていた私の勘が当たりました。そして、同時に、こんなところにアンテナの張っている自分に驚きました。

もう1人は夫の兄夫婦です。義実家を訪問した際、義母が大変気まずそうに報告してきたのが忘れられません。まず、お腹大丈夫?、と聞かれ、私が意味がわからず返答に困っていると、夫が治療は休み中であることを代わりに答えてくれました。その後に義姉が2人目を懐妊したことをうかがいました。1人目は不妊治療で授かったのに、2人目は自然妊娠だったとのことで、大変驚いていました。なお、この頃にはすでに私と夫は、それぞれ一人で帰省したタイミングで、自分の親に不妊治療中であることを報告済みでした。

大変申し訳ないのですが、この頃にはもう人の妊娠報告で素直に喜べなくなっていました。勿論、新しい親戚が増えることに嬉しくてワクワクする気持ちもありますので、その場ではお祝いの言葉を言いましたが、同時に、どうしてうちだけできないのだろう、と取り残されたような悲しい気持ちの方が強くなってしまっていました。

 

不妊治療11:未遂に終わった二段階移植

採卵の前日に遠方に住む祖父が亡くなったものの、なんとか採卵とお葬式の両方を全うすることができた私達は、予定通り、その周期のうちに新鮮胚移植に進むことになりました。

通算で4回目となる今回の移植では、先生に勧められた通り、二段階移植を試す予定にしていました。採卵の3日後に初期胚、5日後に胚盤胞を移植するというものです。

これは、2つの胚を移植することで単に着床する確率が2倍になる、ということだけでなく、初期胚を移植しておくことで、胚盤胞が着床し易い環境が整えられる、という効果があるということでした。

過去の移植でも同様に、排卵の3日後に子宮に刺激を与えるための処置をしてもらっていて、1回目の凍結胚移植では消毒2回目の凍結胚移植では自己血リンパの注入を試しましたが、今回初期胚そのものを移植してしまうというのは、言わば最上級の処置となるものでした。

 

初期胚移植の前日の診察で、8個採卵したうち、成熟卵が6個、顕微授精で正常に受精したのが5個と聞きました。確かこのときも初期胚までは順調に育っており、採卵の3日後に、そのうち1つの8細胞に分割した胚を移植しました。

移植の日は、事前に病院に電話して移植できる胚があるかを確認するのですが、採卵の5日後、いつものように電話で確認したところ、胚盤胞まで育ったものが1つもないということでしいた。その日は午後から移植の予定で、午前中は出社していましたので、職場の机を離れてエレベーターホールの隅で電話していたのですが、あまりのショックに目眩がしそうでした。

ともかく、胚盤胞の移植はできないが、前々日に初期胚を移植しているので、この初期胚のみで勝負することになりました。黄体ホルモンの座薬等を追加で処方してもらう必要があったため、予定通り通院はすることになりました。

移植から判定日までは、仕事で担当しているプロジェクトも炎上していましたので、出張もこなしながら、判定日のことは気にし過ぎずに過ごせたと思います。

移植の10日後、プロジェクトが炎上して終わった頃に判定日があり、HCG16.9で、またもや陰性に終わりました。

仕事も不妊治療も成果を出せずに、その年度が終わってしまいました。

仕事のせいで採卵前や移植後なのにひどく身体が疲れたりイライラしたりするし、不妊治療のせいで就業時間や出張に制約があって思うように働けない。

私はこの負のスパイラルでへとへとになっていました。

 

不妊治療10:採卵2回目

卵の育て方

3ヶ月間のお休み周期を経て、私達は2回目の採卵に臨むことになりました。夫の精索静脈瘤手術が終わってちょうど3ヶ月ほど経った頃です。

ちょうど年度末で、私の担当するプロジェクトでは、再度出張を伴うサブプロジェクトが始まっていた時期でした。ですが、どうやら私は通院のため出張できないらしい、という認識がようやくプロジェクト内に浸透しつつあり、私に現地立ち会いを求める人はほとんどいなくなりました。サブプロジェクトの成否に関してプレッシャーのかかる立場であることには変わりませんでしたが、採卵周期が始まってからは出張は控えさせてもらい、遠方から支援するスタイルに持ち込むことには成功しました。

初回の採卵のときと同様、ショート法で卵を育てることになりました。前回は、顕微授精させる前の卵子の段階では、大きさも数も申し分なかったので、今回も同じ育ち方をしてほしかったのですが、残念ながらそうはいきませんでした。卵胞の数は前回の半分程度で、生理が始まってから12日目、前回より1日早く採卵の日が決まってしまいました。

 

訃報

採卵を翌日に控えた朝、職場で仕事をしていると、母から父方の祖父の訃報がLINEで届きました。私の実家は新幹線を使ってドアからドアまで5時間弱のところにあり、亡くなった祖父は実家で同居をしていたのですが、前年の秋から肺炎をこじらせて入院し、そのまま施設に入っていました。祖父の延命をどうするか等で、一人っ子の父が苦悩していたため、私は凍結胚移植と仕事と昇進試験の勉強の合間を縫って、何度か帰省していました。そのため、祖父がもうあまり長くないことは知っていましたが、まさかこのタイミングとは思いませんでした。

まず採卵をどうするか悩みました。間もなく採卵の日がお通夜、その次の日がお葬式という日程の連絡を母からもらい、朝に採卵してそのまま実家に移動すればお通夜に十分間に合い、スケジュールが成立することがわかりました。卵を育てるための注射等の通院ですでに数万円かかっていましたし、お腹に育ったたくさんの卵を採らずにそのままにしておくのもこわかったため、予定通り採卵を進めることにしました。

そうと決まればあとは忌引休暇の日程を決めて、仕事を処理するだけでした。採卵の日から土日含めて4日間休むことにしました。サブプロジェクトも佳境を迎えていましたので大変ではありましたが、元々採卵のために休暇をとるつもりでしたし、むしろ休暇の理由を堂々と発表でき、周囲の理解を得易いため、引き継ぎもやり易くなりました。祖父が治療を応援してくれているのかもしれない、と思うことにしました。 ただ、やはり、そこそこ残業はすることになってしまいました。採卵の緊張感と祖父が亡くなった悲しみで張り裂けそうな胸を抱えながら働いたことは、今も忘れられません。

 

採卵

採卵は前回と同様全身麻酔で行われ、無意識のうちに終わっていました。

祖父を想って泣きながら目が覚めました。目が覚めた後も、しばらくベッドで声を殺して泣きながら安静にしていました。このときようやく仕事と採卵の緊張感から解放されて、泣くことができたのだと思います。看護師さんがびっくりしていました。

卵は8個採れたということでした。

病院を出て、近くのカフェで喪服を持って待機していた夫と合流し、そのままポカリを飲みながら新幹線に飛び乗って実家に向かいました。

OHSSのような症状もなく、無事お通夜、お葬式に出席し、祖父とお別れすることができました。

お葬式の終わった次の日は、夕方からの診察を受けるため、午前中に実家を出ました。